モーターボートを振興した男はフィクサーだった!? 「一日一善」おじさん、笹川良一の生涯

こんにちは、管理人のベル坊です!

今回はボートレースを創設しました 笹川良一 さん について調査してみました。

さっそくいってみましょう!!

CM「一日一善」と叫ぶ老翁は誰?

「戸締り用心火の用心 戸締り用心火の用心 一日一回良いことを ニコニコにっこり日曜日」
法被を着た子どもたちが火の用心を元気よく歌うテレビCMが1970年台後半に存在しました。

今の40代から50代の人は覚えているかもしれません。

CMの最後にはモーターボートの映像があります。

つまり、実はモーターボートのCMだったことがわかります。

なぜこのようなCMがあったのでしょうか。そのカギを握る人物は、子どもたちに囲まれ「一日一善」と叫ぶ老翁でした。
彼の名は笹川良一(ささがわりょういち)

競艇を日本に普及させた人物といっても過言ではありません。
財団法人日本船舶振興会は現在は日本財団として、競艇を管轄しています。

笹川はその初代会長でした。

振興会の設立は1962年のことですが、1951年に今のモーターボートのシステムが確立させた「モーターボート競走法」が制定にも笹川は関わり、
競艇という競技を確立させた人物として大変重要なことがわかります。

ちなみに、現在の日本財団の会長を務めているのは笹川の三男、陽平です。
では笹川はどのような生涯を辿ったのでしょうか。

笹川の生涯とは?

笹川は1899年に大阪で生まれました。
村会議員や事業主都市として成功を収めた後、1942年に衆議院選挙に当選しました。

彼の政治的立ち位置はファシズム、すなわちイタリアの独裁者ムッソリーニの影響を受けたものでした。
1945年の終戦後は、その活動歴から、戦勝国によってA級戦犯の容疑者として巣鴨プリズンに投獄されてしまいます。

ここには他の容疑者、すなわち日本を動かした政財界の関係者が大勢おり、釈放後の笹川の活動を支える人脈づくりに役立ったと言われています。
その後、笹川はモーターボート事業の立ち上げをします。

モーターボートの立ち上げ

1949年に出所してから、笹川はモーターボート事業の立ち上げに着手します。

モーターボートに興味を持った理由は巣鴨プリズンで手に取ったアメリカの雑誌でモーターボートの写真を見たからだそうです。
そして、わずか2年で先述の法制定にこぎつけることがてきたのです。笹川の政界への太いパイプが見え隠れします。

それからは社会奉仕活動を積極的に行います。冒頭の「一日一善」のCMもその一つです。
モーターボート事業の収益を防犯・防火の活動に充てていました。

また、ハンセン病患者の救済のために、WHO(世界保健機関)に多額の支援をしました。
笹川の社会奉仕活動については、それ以外にも多岐にわたって行われています。

一方で、先述した政財界への太い人脈や影響力があることや、組織に自らの親族を重要ポストに据えたことからも、
「日本の黒幕」「フィクサー」と揶揄されることもあります。

以上が、笹川の紹介です。

笹川は1995年に96歳で大往生をとげました。死後まだ二十数年。
謎も多く、歴史が彼を評価するのはまだまだ先のようです。

まとめ

ざっとでは、ありますが笹川良一 さん について調査してみました。
彼の人生はとても破天荒で面白いので随時紹介していきたいと思います。

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